(不思議な事件ではありますが、活動が行き詰ってでないことを祈ります)
ペットロスという言葉は、定着した感じがあるのですが、まだご存じない方もいらっしゃいます。
中には「たかが犬でしょ?」という人がいたりして、
どうしてそんなに動物に感情移入するのか理解できないという方もいらっしゃいます。
でも昨日私がお会いした友人は、特別な鳥屋さんの「ささみ」を愛犬のために購入して
保冷器に入れて持っていらっしゃいました。人間が食べるものと全く同じ高級ささみで、
「私も1本ちょうだいって言いたいぐらいオイシイ」とのこと。
そのささみでないとペットが食べないそうです。家に赤ちゃんがいるようなものです、
とおっしゃっていました。子育てが終わり定年退職したご夫婦がペットを子どものように
育てているような情熱で飼っていると感じました。
その前にいた1匹は長い介護の末に亡くなったそうで、
「充分心の準備が出来てから逝ってくれたので良かった」とおっしゃる。
ペットを通したコミュニケーションは発展しますから、友人知人は増える。
散歩にも行くし、ペットを飼うことが好きであれば、健康生活の手段であることは間違いありません。
例外もあるでしょうが、ペットを愛する人は不思議なぐらいその介護にも情熱をそそぎます。
愚痴も言いません。一生懸命飼い主が尽くしているのです。
人間と違ってペットは口をきかないことは大きな違いだとは思いますが、
一心に自分を頼ってくるし、文句も言わない。そうした愛おしさがたまらないとおっしゃいます。
家で飼っている限り、勝手に戸をあけて徘徊はしませんし、散歩の時はリードでつながっている・・・。
人間はこうはいきません。
逆に、犬や猫を簡単に捨ててしまう人もいます。
被災地で、置き去りペットの飼い主探しというボランティア活動が盛んだったこともありました。
あれから間もなく2年が過ぎようとしています。どうなったかなと思っていたら、
名古屋で家族が殺害された事件のあとに自殺をしたとされる女性が、
ペットのボランティア活動もしていたと読みました。
なかなか資金が足りず、自分の蓄えで資金繰りをしていたという情報もあります。
事件の真相はまだ解明されてませんから、何もハッキリとした事は分かりませんが、
様々な状況の中、ペットのボランティア活動も行き詰っていたのではないかと想像しております。
ペットの飼い主探しに限らず、ボランティア活動の主旨に一貫性を持ち、
組織的に継続していくには経済的基盤をどこに置くかが難しい。
人手は足りなくなるのに、やらなければならない事は増え、そして資金不足になっていくという現象は、
どのボランティア活動もかかえる課題です。
何かいい事をしたいという意欲だけでは続いていかないものです。
動物が置き去りにされているのを見ていられないほど優しい気持ちを持っていた彼女が、なぜ事件?
と不思議な気持ちにもなりますが、そこはこれから背景が明らかになるのを待つしかないでしょう。