毎日jp◇性格や習性、大切に <ペットを飼っている人は多いが、イーデス・ハンソンさんも動物が大好きだ。ただし、接し方にはハンソンさんならではの流儀がある>
たとえば犬に服を着せている人がいるけど、わたしはしない。ただ「こんなもんや」と思ってる犬も結構いるかもね(笑い)。その人なりのかわいがり方で犬も喜ぶのかも知れないけど、わたしは好きじゃない。犬は裸のままできれいな動物やから。
また、整形してまで姿や形を変えるのも好きじゃない。ドーベルマンとか、こわもてのシャープな感じを出すために耳をピッと立たせる手術をするでしょ。ボクサーのしっぽを切ることもある。あの短いしっぽは生まれつきじゃないよ。背骨につながるデリケートな場所なのに、種類によって生後間もなく切ってしまうのね、麻酔もなく。犬にとってしっぽはすごく大事なものよ。動きのバランスを取るだけでなく、「第二の顔」というほど、うれしさとか、怖さなど、気持ちを表現しているの。
耳や尾を切るのは狩猟や牧畜のために始まったというけれど、今はその必要性もない。もっぱらしきたりとか、見た目の比重が大きいよね。イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、北欧、オーストラリアなどは法律で制限しているし、その他の国でも多くの獣医師がこうした手術に反対しています。
<ダックスフントはアナグマを捕るために改良され、穴に入りやすいよう足が短くなった。こうした品種改良を一概にはだめと言えないのでは>
犬の種類や血統は、人間が勝手に特徴づけて強化し、近親交配して作り上げたものが多くて、本来はあいまいなものよ。たとえばチンやブルドッグなど、鼻が出っ張っていない犬を人工的に作った。でも鼻がぺしゃんこだと息をしにくくなるから、行き過ぎた改良はやめるべきだという話もある。ブルドッグは雄牛と戦わせるんですね。一度かみついたら決して離さないのがブルドッグ。鼻が出っ張っているとじゃまになるから今のような顔になったけど、息を吸うとき苦しそうにしているよね。
犬に限らず、いわゆる品種改良は人間の都合や価値観が優先しがちです。遺伝子操作にしても、遺伝子のプールにどんな影響があるのか、人間の干渉はよほど慎重に考えてやらないと。長い年月をかけて環境に適応しながら進化し、その結果として姿や形が変わるのとは違う。ただ「できるからやる」のではなく、それぞれの生き物の性格や本来の生活ぶりを丁寧に考え、大切にしないといけないと思う。
<古代エジプトの記録にも残っているが、犬や猫ははるか昔からペットとして飼われていた。野生動物とは明らかに違う>
初対面の人に親しげに飛びつく犬もいますが、そういう犬はいじめられたことがなくて人間を怖がらない。みんな友達と思えるような育て方をされ、ある意味では幸せよね。でも、飛びつかれていやがる人もいます。びっくりした人が犬をけったりすることもあり得るから、もう少し犬を訓練した方がいいかも知れない。「犬を飼うときは自然のままがいい。訓練して、人の言うことを聞かせるのはかわいそうだ」という考え方もあるけど、野良犬でなく、人間と無事に気持ちよく暮らしていくことを考えたら、人間社会の仕組みをいろいろ教えた方がいい。車を追いかけるのは危ないとか、そういうこともね。
それと、犬の先祖は群れで生きて来たから、飼い主がリーダーだと教えることが大切。そうしないとわがままな犬になる。教えないままでいると、何をしたら怒られるかもわからない。やはり犬の性格や習性を生かした訓練は必要です。
<最近はヘビやトカゲなどを飼っている人も増えている。無責任な飼い方をして、逃げ出して大騒ぎになることも>
生き物には不思議な魅力がある。人間と違う生き物とどこまで近づきになれるか、あるいは訓練できるか、そういう興味があるよね。だから、飼ってみたいという気持ちはよく分かる。ただ、飼っていたのが逃げ出して、本来はいないところで繁殖し、生態系を崩したり、食害などの騒動になるケースも出ているよね。アライグマやタイワンリス、ネズミの仲間のヌートリアもそう。珍しい動物じゃなくても、幼いときはかわいがったのに、大きくなるとあっさり捨ててしまう人もいる。一時大変なブームだったハスキー犬も、結構な数が捨てられた。時々ハスキーっぽい野良犬を見ます。将来にわたっていい状態で飼い続ける自信がなければ、最初から飼ってはいけないと思う。
わたしは小学6年生のとき、誕生日のプレゼントでシェパードを買ってもらったけれど、親の助けを借りずに面倒を見るというのが条件だった。子どもだったから深く考えないで、「大丈夫、大丈夫。かわいいから面倒を見られる」と思ったんだけど、餌をやるのも毎日のことだから面倒くさいときもある。そんな時、母には「あなたがちゃんと食べさせないとその犬は食べられないよ。食べられなかったらどうするの? 犬をいじめることになるよ。人間の都合で犬はここにいるわけだから、あなたには責任がある」と言われました。
<来日してからも大阪では三毛猫、東京ではウサギを飼っていたハンソンさん。中辺路に移ってからは4匹の犬と暮らした>
農協の近くで生まれた雌の野良犬がいてね、幼い間はかわいいから農協の人たちが世話をしていたけど、そのうち面倒になったんやね。「ハンソンの家の近くで放したら」と考えた人がいて、結局うちにやって来た。1988年12月のこと。チャコと名付けたその犬は、仲間意識が薄く感情表現が下手だったけど、学ぶ機会がなくてそうなったんやからチャコのせいじゃない。やっぱりかわいい。散歩にも連れて行き、ちゃんと飼っていたら、翌年に妊娠してしまって、獣医さんに診てもらったら「3匹ぐらい入ってる感じよ」と。じゃあ、生んでもらって、それから避妊手術をとなった。雄なら引き取り手があったけど、3匹とも雌で、人にあげられないから全部飼いました。母親と合わせて4匹。でも飼ってよかった。
子犬の名前は生まれた順にハツコ、フーコ、ミーコ。ハツコは18年も生きました。子どもたちは半年ほどで、いつの間にか遠吠(とおぼ)えを始めた。オオカミが先祖だなと感じました。でも、母親はなぜか参加しなかった。遠吠えは午後5時の時報で始まり、集落中に聞こえていた。集落の有線放送で流れる女性の声にもよく反応してた。3匹とも性格が違い、いつも仲がいいとは限らない。だけど遠吠えはすごいコーラス。後になり、先になり、微妙にタイミングや強弱をずらすの。群れの意識を確認しながら、会話を楽しんでいるようなひととき。思い出しても愛しいね。
同時に猫も飼っていたんですよ。それも捨て猫だった。イリコをあげたら、タタタッと来るから「イリコ」と名付けた(笑い)。春の盛りのシーズンになるとものすごいけんかをしてきた。わたしはどんな動物ともしゃべるんだけど、イリコもそれに応えてた。家の下の道で見かけると、「また(けんかに)行くの?」「ニャオン」「気ぃつけや」「ニャオン」「ええ彼女おるの?」「ニャオン」という具合。おもしろい猫やった。最後はけんかに負けたのか、いなくなりました。
<これからまた犬や猫を飼いたいと思うか>
今は責任を持って面倒を見る態勢が取れないから飼えません。でもね、「かわいがっても最後は死ぬから」と言って飼わない人がいますが、わたしはそういう風には考えない。犬を飼っている間、面倒なことは沢山ありましたよ。ハツコとフーコは子犬の時に目や唇、足の指の間に皮膚病ができてね。獣医さんには、「治らないときは処分する人も結構いますよ」と言われたけど、それはイヤ。毎日薬を飲ませて足を洗う、その世話を一生続けてもいいと思った。死んだときは泣いたけど、貴重な経験と楽しい思い出がいっぱい残ったね。
今は、野良犬や野良猫でもすぐに処分しないで預かるところが民間にもあります。そういうところからもペットをもらえる。田辺にもあるみたいで、もしまた犬を飼うとなったら、そういうところからもらおうと思います。=聞き手は新土居仁昌・和歌山支局長、次回掲載は25日
posted by しっぽ@にゅうす at 20:24
|
ペット
|

|