長年通ってくれた飼い主で、高齢の女性がいました。その女性のことは今も忘れられません。
女性は飼っているマルチーズに対し、愛情を注ぎながらも甘やかすばかりでなく、きちんとしつけをするなど厳しい面もありました。マルチーズが病気になるたびに病院に来てくれ、しっかりした信頼関係が築けていたのではないかと思います。
やがてマルチーズが年を重ね、入退院を繰り返すようになりました。「最期は家でみとりたい」という女性の希望で、毎日歩いて病院まで通ってくるようになりました。ある日、「犬が息を引き取った」と連絡が入り、女性は病院に来なくなりました。女性は飼っていたマルチーズの飼育に一生懸命でしたから、気落ちしていないか心配したものの、こちらから連絡は取りませんでした。もし、このときに連絡していれば、その後に起こることを防げたかもしれません。
数カ月後、女性はチワワの子犬を連れて病院にやって来ました。どうしているか気になっていたので、新しい子犬を迎えたことに安心したものです。予防接種などでこまめに足を運んでくれていたのですが、そのたびに飼い主の女性の足や手に傷がたくさんあったのが、気がかりでした。
チワワは活発な犬種です。飼い主を引っ張ったり、かみついたりしている場合もあります。「(子犬と高齢女性の生活は)なかなか大変そうだ。きちんと指導した方がいいかもしれない」と思っていたところ、女性はぱったり姿を見せなくなってしまいました。
それから約1カ月後、別の女性がそのチワワをかなり衰弱した状態で病院に連れて来ました。飼い主の女性が亡くなって、誰にも気付かれないまま数日たってしまい、チワワもすぐそばで衰弱していたそうです。連れてきた女性は近所の人で、チワワを受け継いだということでした。
後日、亡くなった女性の家を訪ねる機会がありました。狭い部屋にちゃぶ台とたんす一つだけ。部屋は清潔に片付けられ、無駄を控えた暮らしぶりがうかがえました。チワワの治療代を出すのも、きっと大変だったはず。もっと何かしてあげられることがあったのではないかと、後悔もしました。
身寄りもなく、飼い犬と病院に来ることが唯一の社会との接点だったようです。往診に行くなど、もう一歩踏み込んで、飼い主の生活環境を理解し、親身になっていれば結果は違ったかもしれないのです。飼い主へのフォローが足りず、寂しい結果となってしまいました。
今後、超高齢社会で似たような問題は増えてくるでしょう。犬と飼い主を取り巻く環境や生活、彼らの性格まで把握して、うまく生活していけるようコーディネートするのも、獣医師の重要な仕事になるのではないかと考えています。
(竜之介動物病院長、熊本市)
※この記事は2016/09/29付の西日本新聞朝刊(生活面)に掲載されました。