処分から共生へ−。神奈川県動物保護センター(同県平塚市)が来年4月、隣接地に新築移転する。約50年前、犬の殺処分を主な目的として建設された施設が、時代を経て、動物を生かして共生するための施設に生まれ変わる。大量に殺処分を行っていた時代の“遺構”が数多く残る現施設。移転まで1年を切った県動物保護センターを訪ね、県内の動物愛護の現状を探った。
(横浜総局 外崎晃彦)
施設は昭和47年4月に「県犬管理センター」の名称で開所した。現在、同センターで業務課長を務める上條光喜さんは「街頭に野良犬があふれていた時代。当初は犬の殺処分が主要な業務だった」と設立の経緯を解説する。
最大1万8千頭
野良犬の捕獲は狂犬病をはじめとする感染症対策が目的だ。狂犬病は30年代前半を最後に、国内感染で人は発症していないが、「当時はまだ狂犬病に対する県民の恐怖心も鮮明。国は捕獲に力を入れていた」という。
同センターの犬の殺処分件数は、もっとも多い時期で年間約2万頭近くに及んだ。ピークは開設から間もない48年度の約1万8千頭。収容数の内訳は、野良犬の街頭捕獲が9557頭、飼い主などからの引き取りが1万916頭だった。その後、野良犬が減り、街頭捕獲は急減したが、引き取りは59年度にピーク(1万2716頭)を迎え、その多くもまた殺処分となった。
近年の同センターは、平成25〜29年度の5年間、殺処分ゼロを達成している。達成直前の24年度でも殺処分数は70頭。開設から昭和の終盤にかけてはまさに桁違いの数だったことがうかがえる。
歴史の“遺構”も
センターの地下、細く狭い通路の奥の薄暗い一室。犬を大量に殺処分するための設備や機器類が長期間、使われないまま、ほこりをかぶっている。
操作室の機械盤には、たくさんのスイッチがあり、工程を知らせるランプには「CO2ガス供給」「搬送ボックス下扉開」「処分室扉開」などの生々しい文字が並ぶ。一連の工程は機械で自動的に行われ、背後の窓からは、職員が目視で監視できたことが分かる。
巨大な鉄骨むき出しの装置の中央部には高さ1メートル、幅2メートルほどもある「ガス室」が確認できる。収容されて約1週間たっても引き取り手のない犬は、一度に数十頭も収容できた広いおりの中から、まとめてそのガス室に追い込まれたという。
上條さんは「息を引き取った犬たちは下方の搬送箱に落とされ、箱ごと鎖で引き上げられて火葬施設の中に運ばれていった」と話し、悲しい表情を浮かべた。この設備については「歴史を示す遺構として残しておくべきだという声が上がっている」と話す。ただ、現時点では廃棄が決まっているという。
重い雰囲気を刷新
「県動物保護センター」に改称したのが、設立約5年後の昭和52年。以後、犬による感染症や危害防止対策から動物保護行政への質的転換を徐々に進めてきた。上條さんは「本県の動物愛護の取り組みは、他県よりも早い段階に始まったといえる」と話す。
野良犬が街頭から姿を消し、大量殺処分の時代が終わったあと、収容動物の“主役”は猫になった。ただ、犬の殺処分が目的だった施設のため、収容部屋が不足するなど、動物を飼育することには不向きな面が多々見受けられる。
猫の入るケージが幾層にも積み重ねられているのは、かつての解剖室。犬の「シャワー部屋」は、人間用のトイレだった場所を改造した粗末なものだ。使われていない設備も施設内のスペースを圧迫している。
来年4月に開所する新施設は、これまでの重苦しい雰囲気を一気に捨て、飼育施設も充実する見込みだ。関係者らは「現状に即した施設として生まれ変わる」として期待感を高めている。収容動物と県民が触れ合える施設も拡充し、県民に楽しみを与えると同時に、動物愛護の意識も高められそうだ。
県内では、4カ所の動物保護(愛護)センターのうち、川崎市の施設も来年2月に新築移転を控えている。行政や県民にとっての動物愛護はいま、新たな転換点を迎えようとしている。
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【ことば】狂犬病
主に狂犬病に感染した犬、猫、コウモリなどの動物にかまれたり、目や口などの粘膜をなめられたりすることで、ウイルスが体内に侵入して感染する。人も動物も発症すると、ほぼ百パーセント死亡するが、感染後にワクチンを接種することで発症を防げる。厚生労働省などによると、世界では年間約5万人が死亡。日本では、人は昭和31年を最後に国内感染での発症はないという。