山口県の南西部、ローカル列車に揺られて無人駅で降り、さらに車で5分。のどかな雰囲気が漂う緑豊かな地に「てしま旅館」は佇んでいる。
【写真】猫たちがいっぱい!猫庭のようす
全6室の温泉宿。玄関を入るとロビーの正面に、猫たちが暮らすガラス張りの「猫庭」が見える。ここは保護猫活動を展開している旅館だ。
てしま旅館は、1968年に現代表・手島英樹さんの祖父が創業。家族経営の心温まるおもてなしと美食が評判だ。手島さんは広島で介護福祉士として働いていたが、「旅館を継ぎたい」と25歳で帰郷。2004年に内装をリニューアルして、おしゃれなデザイナーズ旅館へと生まれ変わった。
■知的でツンデレな猫たちの虜に
保護猫活動に取り組み始めたきっかけは、2013年の冬、手島さんの3人の子どもたちが近所をウロウロしていた猫を「うちで飼いたい」と言ってきたこと。近所には以前からたくさん野良猫がいて、手島さん自身はもともと猫が好きではなかった。
だが「外は寒くてかわいそう。絶対にお世話するから」と懇願する子どもたちに根負けして1匹だけ飼うことに。すると「知的でツンデレな猫ちゃんたちがあまりにかわいくて」と満面の笑みになる手島さん。すっかり虜になり、飼い主のいない猫を自宅で引き取って、気づけば9匹飼っていたという。
2016年1月のこと。手島さんはテレビでたまたま犬猫の殺処分に関するニュースを見て、衝撃を受けた。
2014年度に山口県内の保健所に引き取られ殺処分された犬猫の数は4730匹にのぼり、全国の都道府県でワースト3位と知ったのだ。
「山口県(下関市を除く)では2014年度に2744匹の猫が引き取られ、そのうち2701匹が処分されていたんです。これまで殺処分なんて考えたことがなかったけど、『えっ、こんなに殺してるの? 何とかしなければ』と強く思いました」
自宅で飼うには限界がある。そこで「旅館の中庭に猫の家を作ろう」と思いつき、家族会議を開くと全員が賛成。インターネットで寄付を募るクラウドファンディングに挑戦し、45日間で412万円を集めた。支援者は343人だった。
「猫の命を救いたいという、サイトに書いた私たちの思いにたくさんの方々が賛同し応援してくださって、本当にありがたかった」。JR貨物のコンテナを2つ購入し、猫が暮らすシェルター「猫庭」へとリサイクル。デザインは、猫の家具で日本グッドデザイン賞に輝いた山口県の磯部司デザイン事務所に依頼。内装には猫の爪にやさしい木材を使用し、冷房も備えて、快適に過ごせるように工夫した。
2016年6月に猫庭の運用をスタート。飼い主のいない猫を引き取り、世話をしながら里親を募集して、1年足らずで34匹が里親のもとへ巣立った。
もっと受け入れるため2017年6月に再度クラウドファンディングを行い、400万円を超える支援をもとに、猫庭シェルターを2階建てに増築した。
猫庭の取り組みを開始して、1年半が経った。猫庭には常時30匹ほどの猫が暮らしており、満員の状態だ。
これまで引き取った猫は200匹にのぼり、そのうち170匹ほどを新しい飼い主に譲渡してきた。
「猫たちの尊い命をつなぎたい、その一心から、とにかく勢いだけで猫庭を立ち上げました。
猫の世話は主に娘たちが担当していて、エサ代や医療費、去勢手術代などは旅館の宿泊代から捻出しています。病気になった猫を別室で看病したり、猫を引き取ってほしいという連絡がひっきりなしに入ったりと、24時間対応で実情はとても大変です」と手島さんは打ち明ける。
■猫を譲渡すれば終わりという話ではない
猫の譲渡は、単にモノを譲るのとはわけが違う。猫庭では猫一匹ずつの情報をホームページで公開し、備え付けのカメラで猫庭の様子をLIVE配信。定期的に譲渡会も開き、里親を広く募集している。
「新しい飼い主さんの話をよく聞き、猫の性格や健康状態などをしっかり伝えたうえでお渡ししています。その後もLINEなどでコミュニケーションを取り、状況を報告してもらいます。多くの命を助けるためにはスピーディに譲渡したいけど、相手がどんな人か、本当に愛情をもって育ててくれるのかを見極めることが重要。そこが難しいところです」
猫庭を立ち上げてから、旅館には猫好きのお客さんが増えて、遠くは関東からのリピーターもいる。
「猫を旅館のウリにしようと考えたことはないけれど、結果的にはビジネスモデルになっています。
猫庭の理念に賛同してくださったり、旅館自体の接客や料理を目当てに来てくださるお客さまのおかげで、猫庭の活動は成り立っています。埼玉の病院でも保護猫活動をしたいと問い合わせがあり、私たちのやり方を伝えてサポートしました」
猫庭の活動費を捻出するために、「猫庭日和」というフォトブックを毎月発行したり、次女の姫萌ちゃんが描いた猫のイラストをあしらったTシャツやマグカップなどオリジナルグッズを販売している。
そこから、思いがけない展開も生まれた。
今年9月から、山口県にあるユニクロのシーモール下関店と長府店の2店舗限定で、猫庭とユニクロがコラボしたTシャツとトートバッグを販売しているのだ。
売上金の一部は猫庭の運営に充当される。
きっかけは、フランチャイズである2店の社長・吉村邦彦さんと手島さんが知り合い、ダメもとで「猫庭Tシャツをユニクロで売りたい」と相談したこと。
ユニクロの本社は山口県にある。吉村さんはユニクロの柳井正社長のもとで同社の成長期を支えた人物であり、本部に情熱的にかけあってくれた。
吉村さんの妻が猫好きで、てしま旅館に宿泊したことがあったのだという。そんな縁から手島さん自身も何度も本社に通い、ユニクロとしても異例のコラボが実現した。
「こんな夢のようなことがあるのかと自分でも驚きましたが、まじめにやっていれば、応援してくれる人が現れる……殺処分の問題を多くの人に知ってもらうきっかけになり、うれしく思っています」と手島さん。今、ほかの企業とコラボする話もいくつか進んでいるという。
山口県の猫殺処分ゼロを掲げ、クラウドファンディングにより2016年6月に誕生した猫庭。同県(下関市を除く)の保健所で殺処分された猫は、2014年度の2701匹から2017年度には542匹に激減した。譲渡数が40匹から1489匹に増えたためで、猫庭もその一端を担っている。
「殺処分を少しでも減らすために、全国で行政や団体や個人が懸命に活動しています。山口県では譲渡数が飛躍的に増えたけれど、保健所に持ち込まれる猫の数は依然として多いまま。問題の本質はそこにあるのでしょう。そもそも無責任に猫を飼う人がいなくなるように、人びとに訴えて意識や行動を変えていく必要がある。
とてつもなく大きくてやりがいのあるテーマだと思います。応援してくださる方が増えてきた今、私たちは信用を積み上げつつ、さらにできることを模索していきたい」と手島さんは決意を新たにしている。
■獣医さんになりたいという目標ができた
平日の夕方、次女の姫萌ちゃんが小学校から帰宅した。制服から猫庭Tシャツに着替えたら、さっそく猫庭で猫一匹一匹の様子を見たり掃除をしたりと、テキパキと動いている。
猫庭では彼女を中心として、受け入れた猫の特徴や性格、健康状態を把握して、世話と譲渡を続けているのだ。
「初めは私たちが猫を飼いたいって言ったのに、なんだかお父さんのほうがのめり込んじゃって……」と明るく笑う姫萌ちゃん。
「私は何でも3日坊主で続けられない性格なんですけど、猫ちゃんのお世話だけは楽しくて大好きで自分からやっています」とハキハキ話す。習い事や塾に通いつつ、姉・兄とともに猫の面倒をみることが生活の一部になっている。夕方5〜6時に猫庭でお客さんと話をするのも彼女の役目。
「いろいろな人とおしゃべりするのがとても楽しい」という。「ずっとお世話していた猫ちゃんが新しい家族のもとにいくときは、とてもうれしいけど寂しくて……幸せになってねって祈っています」。
元気な猫はもちろんケガや病気の猫もたくさん受け入れ、ときには看取ることもある。姫萌ちゃんには「将来は獣医さんになりたい」という目標ができた。
猫の命をつなぐために……手島家の挑戦はこれからも続いていく。
佐々木 恵美 :フリーライター・エディター