Yahoo! JAPAN 漫画家で小説家の折原みとさんは、湘南の家でこりきというゴールデンリトリバーと一緒に住んでいる。実は湘南に越したのは30歳をすぎてから。19歳で上京し、21歳でデビューしてからは、東京・中目黒に住み、ミリオンとなった『時の輝き』をはじめとする少女小説や漫画で働きづめの生活を送っていた(詳しくはこちらの記事参照)。
折原さんと犬との二人三脚は有名だが、実は犬を飼うようになったのは、30歳をすぎてから。エッセイ『おひとりさま、犬をかう』には仕事とはなにか、豊かさとは何か、そしてペットと暮らすとは何かについてが書かれている。その中から、数回限定公開にて、デジタルメディアとして初めて抜粋掲載。そもそも、なぜ折原さんが30過ぎまで犬をかわなかったのかーーその理由を探るために、折原さんが子どもの時のほろ苦い思い出を振り返る。
漫画家が幼少からの「犬を飼う夢」を30過ぎまで諦めた切ない理由
幼少期の折原さん 写真提供/折原みと
生き物を飼わなくなった理由
物心ついた時には、家に猫がいた。「タマ」というベタな名前の茶トラの雌猫。
私が生まれる前からいたタマは、幼稚園の頃にいつのまにかいなくなってしまって、小学校に入った頃に、やはり茶トラの2代目猫がやって来た。
名前は「ミニ」。
子猫だったから「チビ」と名付けたい所だけど、それじゃあんまり単純なので、ちょっとひねって「ミニ」にしたのだろう。
当時の私は、あまりミニをかわいがった記憶がない。しつこくシッポを引っぱったりヒゲを切ったりと、子供らしい(? )ちょっかいを出してばかりいたので、どちらかといえば、ミニには嫌われていたかもしれない。
ミニは、あまり長くは家にいなかった。小学校2年生くらいの頃にいなくなってしまったのだ。親はハッキリとは言わなかったが、多分車にでも轢かれてしまったのだろう。
ミニが死んでしまったことに薄々気が付いた時、たいしてかわいがってもいなかったくせに、私は大泣きした。
あんまりしつこく泣いていたので、親は「生き物は死んだ時に困るから飼わない」と決めたらしい。家に3代目の猫が来ることはなかった。
原っぱでひろった子犬
近所の原っぱで子犬を拾ったのは、それからしばらく後のことだ。
コロコロとまるまっちい、こげ茶色のタレ耳ちゃん。口のまわりだけが黒っぽくて、ドロボウみたいな愛嬌のある顔。
ちぎれんばかりにシッポを振ってジャレついてくる子犬と離れがたくて、私はその子を家に連れて帰ったのだ。
昔から少女マンガの世界では、捨て犬や捨て猫を拾う心やさしいヒロインに、カッコいい男の子がホレる…というのがてっぱん! かねてからそんなシチュエーションにあこがれていた私は、ちょっとしたヒロイン気分だった。
が、現実は甘くない!!
「犬を飼いたい」という私の願いは、あっさりと親に却下されてしまった。
考えてみれば当然だ。
エサをあげるだけであとは野放し状態だった猫でさえもう飼わないつもりだったのだから、散歩やらしつけやら何かと手間のかかる犬なら、なおさらダメに決まっている。
「犬の面倒なんてみられるわけがないでしょう!? さっさと元いた所に返してきなさい!!」
そんな母の言葉に逆らって、子犬を抱いて何時間も裏庭に座りこんだが、暗くなるまでがんばっても、母は頑として考えを変えてはくれなかった。
どうしようもない。
どんなに泣こうがわめこうが、ダメなものはダメなのだ。小学生の子供にとって、親の決定は絶対だ。
ごはんも着る物も住む家も、何もかも親がかり。自分自身が親に面倒をみてもらっている立場なのだから、親の許可が得られない限り、犬なんか飼えるわけがない。
漫画家が幼少からの「犬を飼う夢」を30過ぎまで諦めた切ない理由
このお子さんは折原さんではありませんが、こんな広々としたところで折原さんは子犬と会いました 写真提供/折原みと
涙のかっぱえびせん
少女マンガのヒロイン気分でウキウキ子犬を拾ってきた翌日、私は泣く泣くその子を元の原っぱに捨てに行った。
緑色の原っぱに群れ咲く、真っ白なシロツメクサ。
季節は春だったのかもしれない。
「ここにいてね、バイバイだよ」
そんな言葉を理解できるわけもなく、子犬は無邪気に私の後を追ってくる。
そこで、取り出したのが「かっぱえびせん」だ。
そう。この21世紀の現代でもおなじみのかっぱえびせんは、私の子供時代、すでに大人気のおやつだったのだ。
私は原っぱにとっておきのかっぱえびせんを撒き散らし、子犬が夢中でそれを食べている間に一目散に逃げた。
しばらくして、私がいないことに気付いた子犬の鳴き声が聞こえてきたけれど、必死で耳をふさいで、振り返らずに泣きながら逃げた……。
時は昭和40年代の終わり頃。わかりやすく言えば、『ちびまる子ちゃん』の舞台になっている時代のことだ。
あれから40年以上たった今でも、あの時のことを思い出すと泣けてくる。
原っぱに置き去りにしてしまった子犬は、誰かに拾ってもらえただろうか? 小3のあの日、私は現実の厳しさを痛感した。
子供って、無力だ。
親の保護下にある以上は、その決定には逆らえない。
だったら、どうしたらいいんだろう?
悔し涙にくれながら、子供なりに真剣に考えた。
そして私は、ひとつの答えを見つけたのだ。
そうだ! それなら早く大人になればいいんだ!!
大人になったら、自分で働いて、家を出て、親に頼らず自分の力で生きて行く!
そしたら、誰にもモンクを言わせず犬を飼うんだ。
そんでもって、絶対絶対幸せにしてみせる!!
しょっぱい涙の味のかっぱえびせんを嚙みしめながら、まるちゃんみたいなオカッパ頭につりスカートの女の子は、固く心に誓ったのだった。
フワフワでコロコロのあったかい生命を守ってやれなかった悔しさと、子犬の信頼を裏切ってしまった胸の痛みは、強い自立心の源となった。
そして、今にして思えば、それが、夢と憧れの「犬ライフ」への、長い道のりの第一歩だったのだ。
文鳥のオスカルとアンドレ
「二度と生き物は飼わない!」と宣言していたウチの親だけど、私が小学校高学年の頃、何の気まぐれか、父が知人から番の桜文鳥をもらってきた。
家に、久しぶりのペットがやって来たのだ。
桜文鳥は、身体は灰色、頭は黒、ほっぺとお腹が白くて嘴は桜色。インコよりも小ぶりの可愛らしい小鳥だ。
名前はオスカルとアンドレ。
当時宝塚の舞台にもなって大ブームだった『ベルサイユのばら』という漫画の主人公にあやかって命名した。
小鳥の世話は子供たちでするという約束だったから、姉、兄、私の兄妹3人は、こぞってエサやりや鳥小屋の掃除に励んだ。……最初だけは。
桜文鳥は人に馴れる鳥だけど、番で飼うと人間には無関心になってしまうらしい。
エサをやろうが話しかけようがまったく懐いてくれないオスカルとアンドレに、私たちのテンションは急降下。
あっというまに我家の「小鳥ブーム」は過ぎ去って、当番のエサやりも押しつけあうようになってしまった。
子供の頃のこととはいえ、オスカルとアンドレには、本当に申しわけないことをしたと思う。玄関わきに置かれた鳥小屋に、ほとんど見向きもしなくなってどれくらいたった頃だろう。
ある朝私たちは、鳥小屋の床で冷たく固くなっているオスカルとアンドレの姿を見つけたのだった。
原因は、エサ切れだ。
鳥を飼ったことのある方なら御存知だろうが、鳥は、粟などのエサの中味だけを食べて殻を残す。エサ入れにまだエサがあると思って油断していたら、実は殻ばかりで、危うく餓死させる所だった…なんて経験をした方も少なくないのではないだろうか? 私たちの場合も、まさにそれだ。
とりあえず誰かしらがエサだけはやっていたものの、ちょっと小屋をのぞいてエサ入れがカラになっていなかったら、わざわざ中を確かめようとはしなかった。いつのまにか、小鳥の世話は面倒な義務≠ノなってしまっていたから。
愛情も責任感もすっからかんで、いいかげんな飼い方をしていたから、そんな初歩的なうっかりミスで鳥たちを死なせてしまったのだ。
本家『ベルばら』のオスカルとアンドレは、フランス革命で市民の自由と平等のために命を捧げたのに、我家のオスカルとアンドレの最期は悲しすぎる。
親の反対で子犬を飼うことができず、泣く泣く捨てに行った小3のあの日には、「いつか自分の力で犬を飼って、絶対幸せにしてやるんだ!!」なんて心に誓ったはずなのに……。
このザマ。やっぱり親の言うことは正しかった。
小鳥の世話さえできなかったその頃の私には、母の言葉通り、犬の面倒なんか見られるわけはなかったのだ。
もしもあの時、子犬を飼うことを許してもらっていたとしても、きっとすぐに飽きてしまって、結局何もかも親まかせになっていたんじゃないだろうか。
大人になってから振り返れば、当時の私は、かなりわからんちんで身の程知らずな子供だった。
けれど、親のどんな言葉よりも、自分のせいで鳥たちを死なせてしまったという事実は重かった。オスカルとアンドレの犠牲によって、私は、まだまだ自分は生き物の生命を預かる精神的レベルに達していないと悟ったのだった。
あこがれの「犬ライフ」への道を、大幅に逆戻り。
だけど、これは大きな意味のある後退だった。
今でも、時々こんな夢を見る。
飼っている小鳥にエサをやるのをすっかり忘れていて、ハッと気がついて真っ青に!
恐る恐る小屋をのぞくと、小鳥は死んでいる…ということもあるし、ギリギリ生きていて、ホッと胸をなで下ろすというパターンもある。
オスカルとアンドレの一件が、未だにトラウマになっているのだ。
生命って、もろくて儚いものだ。
ちょっとした不注意で、簡単に失われてしまうこともある。
生き物を飼ったら、その生命は飼い主の手に委ねられる。生かすも殺すも飼い主次第。その怖さと、責任の重さを、オスカルとアンドレが教えてくれた。
フランス革命とまではいかないけれど、彼らはその生命と引き替えに、アホで無責任だった私の意識に活を入れ、強烈に変えてくれたのだ。
ありがとう! オスカルとアンドレ。そして、本当にごめんね!
君たちの犠牲は、決してムダにはしないよっ!!
次回は、折原さんが犬をかうために「人生最大の買い物」をしてからのことをお伝えします。5月14日(火)公開予定です!
折原 みと