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2014年09月06日

南極犬追悼、元隊員がタロ・ジロの故郷へ 北海道

朝日新聞


第1次南極観測越冬隊でタロ・ジロなど樺太犬の犬係だった北村泰一・九州大名誉教授(83)がこの夏、犬ぞり訓練をした北海道稚内市を58年ぶりに訪れ、犬たちを追悼した。元の飼い主たちを訪ね歩き、南極での初越冬を支えてくれた「お礼を言いたかった」との長年の思いを遂げた。

 宗谷湾を見下ろす稚内公園に、1次隊と南極へ渡った樺太犬22頭の供養塔が立つ。北村さんは8月2日、1961年の建立以来続く慰霊祭に初めて出席した。

 両手にストックを握り、足をゆっくり進めて慰霊塔に飾られた犬たちの写真に向き合った。「すまんことした。もうじき僕もそっちへいくから待っててくれ。また会おう」と涙で声をつまらせた。

 北村さんは南極から帰国後、京都大や九州大でオーロラを研究する一方、南極での越冬体験についての講演を関西や福岡で続けた。北海道では、もう一人の犬係で北海道大出身の菊池徹さんが講演活動をしているだろうと思い、自分は行くのを遠慮していた。

 1次越冬隊11人のうち、菊池さんを含め8人はすでに他界。飼い主たちへ感謝を伝えたいとの思いが募った。観測隊の後輩たちが飼い主を捜して今回の北海道訪問がかなった。

 「ヒップのクマ」の飼い主、岸上実さんは亡くなっていたが、岸上さんが始めた鮮魚店は「きしがみストアー」となって比布(ぴっぷ)町役場近くにあった。後を継いだ長男の明さん(79)が店奥の自宅で迎えてくれた。

 南極への壮行会で撮ったヒップと実さんの写真があった。北村さんは「借りていたものがありまして」と切り出した。「南極で僕は腹が減ってたまらず、ヒップの犬用ビスケットを1枚食べちゃったんです」と明かし、福岡土産のめんたいこを写真に供えた。

 明さんも思い出を話した。仕入れた魚や野菜が駅に届くと、それを積んだそりをヒップが店まで引っ張った。「夏はだらっとしていても、冬は元気でした」と目を細めた。

 ベックの飼い主、西島磯松さんは数年前に亡くなり、弟の松雄さん(87)と利尻島の交流施設で会えた。ベックは南極で越冬中に病死した。手元に写真が残っておらず、北村さんは「もっと活躍すると思っていた。撮っておけばよかった」と残念がった。

 松雄さんは「おっきくて強くて、おとなしい犬だった」と振り返った。利尻山で切り出した木をそりでひいていた。北海道大の教授らが南極へ出してほしいと訪ねて来た時のことも覚えていた。「お金は受け取らなかった。たくさんの犬の中から選ばれて行くんだもの、光栄だと思った」

 ポチの飼い主だった伊藤ヒデさん(93)は、利尻島の老人ホームにいた。歩行器でゆっくり歩いて、出迎えてくれた。「生まれたばかりでうちに来たの。小さなミカン箱に入って」と言葉少なに語った。北村さんは「次の隊が交代で入るというので基地に残してきたのに」と悔やんだ。

 長女の星田久美子さん(67)は、ヒデさんが毎朝仏壇で拝んでいたポチの写真と木彫りの犬、32年前に出版された北村さんの著書を自宅から持ってきていた。「名前が残ったのは名誉です。ポチはわが家で一番出世しました」とほほえんだ。北村さんは本に「ポチにたくさん助けられました」と言葉を添えてサインした。

 「これが最後」との思いで訪れた北海道で北村さんは、「真実を伝え残したい」との思いを強めた。自身の南極での日々について、これまで3冊の本につづった。いまは、南極観測を実現するために奔走した人々の話を書きためている。

 もう一つ気がかりなのは、剝製(はくせい)になった兄弟犬だ。タロは北海道大博物館に、ジロは東京・上野の国立科学博物館にいて離れ離れ。「一緒に故郷の稚内に帰してやりたい」。残された使命だと感じている。(中山由美)

     ◇

〈南極観測隊と樺太犬〉 雪上車が極寒で動かない時に備え、1956年11月に第1次観測隊はそり犬として樺太犬22頭を南極へ連れていった。うち19頭が越冬した。58年2月に南極へ着いた2次隊が交代して越冬を続ける計画だったが、船が海氷に阻まれて昭和基地に着けず、越冬を断念。1次越冬隊員と雌犬1頭と子犬8匹を小型機で収容したところで天候が悪化し、15頭を基地に残したまま帰国した。翌年1月、3次隊は生き残っていたタロとジロに再会した。映画やテレビドラマにもなった。


タグ:タロジロ
posted by しっぽ@にゅうす at 06:46 | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする