動物 しっぽニュース
認定NPO法人HOKKAIDOしっぽの会

2019年08月19日

飼い主の価値観で左右されるペットの看取り

livedoor



ペットの飼い主に、最後の最後まで「1秒でも長く生かしてください!」と言われれば、獣医師も「動物を入院させて酸素室で24時間点滴しましょう」と言わざるを得ないのかもしれない。しかし、飼い主はその選択をした後、「あの子は住み慣れた家で死にたかったのでは?」と自問することがあり、今までそういう飼い主にたくさん出会ってきた。今回は、ペットのエンド・オブ・ライフケアについて考えたい。

いい人生の終え方って何だろう
 つい先日、小さな出版社で社長の片腕として働いてきた知人の女性が亡くなったと知った。

 がんが全身に転移して、本人も「原発がどこかわからないくらい、とにかく全身が、がんなんですよ」と笑って話していたくらいの状態だった。しかし、彼女は亡くなる数カ月前、私たちのペットロスの悲しみを語りあうミーティングに参加していたし、最後の最後までできる範囲で仕事を続け、ひょうひょうと生きて亡くなった。

 彼女はある時点で、積極的治療をやめる決断をして、あとは緩和ケアだけを受けていた。私には、とてもいい人生の終え方に見えた。だが、がんになって自分でこういう判断をするのは、簡単なことではないだろう。

 私の母は数年前、すい臓がんで積極的治療の中止を主治医から勧められた。その時点では十分元気だったが、母は「主治医には見捨てられた」と思ったのか、高額な放射線治療を受け、全身状態が急速に悪化し、すぐに他界してしまった。あの治療を受けなければ、普通の日常がもっと長く続けられたに違いない、と私は思っている。

 また50代の知人の男性は、腎盂尿管がんのステージ4で転移がかなり広範囲にある状態だった。「5年後の生存率はほぼゼロ」と医師から告げられたあと、「人参ジュースのみを摂取して、がんに栄養を与えないようにする」という怪しげな療法を信じて、急速に体力を落として亡くなった。(一般的に腎盂尿管がんの5年後の生存率がほぼゼロということではない)

 医療というのは、あくまで患者の病気を「治す」ことを前提として発展してきた。しかし、現実には人間には必ず命の終わりがある。「治る」だけではなく、「どうやって死ぬ」か、もしくは「人生の最後の日々をどう生きたいか」を患者自身が考えて選択する必要があると思う。



最期まで自分らしく生きることを支援
 人が人生の最後まで最善の生を生きることができるようにする支援は「エンド・オブ・ライフケア」と言われている。エンド・オブ・ライフケアは、最期までその人らしく生きることができるように支援するケアのことだ。

 人の終末期にかかわったり、勉強したりしている時に、どうしてもペットの命の終わりに、過度な治療を望む飼い主たちのことを思わずにはいられなかった。

 寿命があるのは、人間だけではない。当然動物にも、エンド・オブ・ライフケアという考え方は当てはまるのではないだろうか?

 野生動物はほぼ医療を受けることはないから除外するとしても、ペットの場合は命の最後に動物医療のお世話になることが多いことだろう。しかも、ペット自身が、その選択を出来ないという根本的な問題がある。

飼い主は自分の価値観と動物の利益を同一視していないか
 「飼い主は、いつもペットのことを第一に考えている」とよく言われるが、現実はそれほど単純ではない。飼い主は、本来ペットの代弁者のはずだが、自分の価値観と動物の利益を、無意識に同一視する傾向があるとは言えないだろうか?

 例えば、欧米の場合は、病状がそこまで進行していないのに、不必要と思われる安楽死を求められ、獣医師が倫理的なジレンマに苦しむケースが多い。

 北米の獣医師889人に対するオンライン調査("Ethical conflict and moral distress in veterinary practice: A survey of North American veterinarians" [獣医診療における倫理的葛藤と道徳的苦痛:北米の獣医の調査] )では、29.3%が時々または頻繁に不適切な安楽死の依頼を受けると答えている。回答者の大部分の獣医師は少なくとも1回はそのような申し出を受けている。約19%が、この要求に時々またはしばしば同意したと答えた。44.6%が、そのような依頼が獣医師自身またはスタッフに中程度の苦痛を引き起こしたと述べ、18.7%が獣医師またはスタッフに深刻な苦痛を引き起こしたと報告した。

 日本では、これとは逆のケースも多い。

 動物の痛みや苦しみを考えると安楽死も考えたほうがいいと獣医師が提案しても、「この子はまだ生きたがっている」と飼い主が言い張り、返って動物の苦しみを長引かせたという話をよく聞く。

 治療しても効果がほとんどないと伝えても、少しでも可能性があるならばと考え、動物には負荷の高い治療を続けたがる飼い主も多い。これは欧米でも共通なのか、上記の調査で79%の獣医師は、役に立たないと考えられる治療の提供の要求を時々または頻繁に受けていると答えた。

 日本では、私の知るケースで「ペットが高齢で食べなくなったので胃ろうをしたい」と飼い主から相談された獣医師さえいた。

 このような問題は、海外では獣医学、倫理学、哲学の分野で検討され始めている。



日本では研究途上
 「臨床医として、獣医の主要な義務は、動物の最善の利益にある」とは、世界で最も高名な獣医倫理学者、バーナード・ローリン氏(Bernard Rollin)の言葉である。

 知人の獣医師で哲学者のサイモン・コグラン氏(Simon Coghlan)は、この言葉を引用した最新の論文で、"Strong Patient Advocacy"という小児科医などで用いられる概念を用い「クライアントである飼い主ではなく、獣医師は、動物の強力な代弁者として行動するべき」だと主張している。結局のところコンパニオン・アニマルを扱う獣医師は、倫理的には小児科医に近いという("Strong Patient Advocacy and the Fundamental Ethical Role of Veterinarians" [強い患者擁護と獣医師の根源的な倫理役割] )。

 日本では、コンパニオン・アニマルを扱う獣医倫理については、まだまだ研究は進んでいない。

 先日も、ペットの死を受け入れられずに、(動物には非常に負担がかかるにも関わらず)最後まで通院して治療続けたいと飼い主が望むケースについて、獣医大のある教授と話した。今のところ、動物が飼い主の「所有物」である以上、飼い主が満足するようにするしかない。獣医大でもこの問題を取り扱うプログラムがないのが現状だと、その教授は教えてくれた。



ペットは自分のそばに永遠に居ることはできない自覚から
 ただし、動物医療の側がいくら進化しても、この問題は解決しないだろう。根本的には、飼い主がどこまで客観的に動物を代弁できるにかかっているからだ。ペットの飼い主が、動物医療に対する知識と理解を深める必要があることはもちろんだが、それだけではなくペットの命には限りがあり、「エンド」がやってくることを自覚することがスタートだ。

 もちろん愛するペットは永遠に自分のそばにいてほしいというのが本音だろうが、「エンド」があることを受け入れるなら最後の判断は違ってくるのではないだろうか?

 これからは、動物にも「エンド・オブ・ライフケア」の考え方が必要だと思う。



※商品、娯楽の対象の意味合いが強い「ペット」という言葉に対しての抵抗感を持つ人も多く、現在「コンパニオン・アニマル」、「伴侶動物」などに呼び換えられることも多いが、本稿では、分かりやすさを優先し「ペット」を使用した。また支配的な「飼い主」という言葉も「保護者」や「家族」などに呼び変えるかどうかの議論があるが、便宜的に「飼い主」使用した。
posted by しっぽ@にゅうす at 08:51 | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする